「アサギ色」
おいらはヒーリングに関わって11年以上になる。こんなんなっちゃってから数え
ると、正確には平成5年年末から数えたら14年近くだ。まさに、一寸先は闇。そ
して・・・まったく、今の状況なんて夢にも思わなんだ。
10代後半から20代前半にかけては、毎日のようにギターを持ち歩きスタジオ
三昧。次々とメジャーデビューを飾るライバル達を、羨ましく、いじけて腐りながら
斜めで見ては毎日暮らしていた。そこそこ、自信はあったものの、基本的には
バンド内外、私生活内外、トラブル続きで「運がいい」なんてことは一度も思った
ことがなかった。そして、夢破れ26歳で、ギターを置いた。
そこからはまた別世界で毎日を過ごし、様々な方々に迷惑をかけながら、マジ
毎日のように己の愚かさを知った。イジケルなんて100年はぇぇや、っちゅうくら
い
、たくさんの人々に助けられた。そして、平成5年に事故を起こし、そこからは・・
・
もっともっと深い意味で己の愚かさを突きつけられる日常に突入した。
26歳で服部さんや久美ちゃんたちに出会い。90年後半には民ちゃんに出会い、
2000年に入り、大二郎や真輔をはじめとする格闘家たちに出会い、2004年
に桜井会長に出会い、安っさんや雀鬼会の皆に出会い、鍵山秀三郎先生に出
会い・・・・たくさんの勇気を頂いた。10年以上、毎日行うヒーリングやカウンセ
リ
ングで出会った人たちに、一生かかっても、いや生まれ変わったとしても、返せ
ないほどの愛を頂いた。
なんて贅沢なんだろう。なんて幸せなんだろう。ギターを置き、唄を忘れて20年
近く。またスタジオに入って音楽ができるとは・・・。マジ練習時間もなく、失礼極
ま
りないおいらだけど、COCの皆に突っ込まれ、励まされ、一曲唄いれできた。
カラオケさえ、嫌いで歌わなかった。15年以上・・・まったく歌わなかった。で
も、
今回は歌いたかったんです。久美ちゃんに、そして、みんなに、どうしても恩返し
したい気持ちがあった。でも・・・凹んだ。(T−T)だって・・・下手なんだもん
・・・。
ショックだった。ある意味、ギター以上にショックだった。もう佐野さんたちに任せ
るしかないっちゅーの。身の程知らずとは・・・おいらのことです。(−−)
そんでね。ぜんぜん癒し系の音楽じゃないってことだけは名言しときます。はい。
マリピーの曲も、佐野Pのタイコも、HIROSHIのドラムも、みやじいのキー
ボード
も、剛のうんこの唄も、安っさんの映像も、ファニーの声も、もうプロ中プロで最高
っす。みんな、やばいよ。おいらは置いてけぼりにならないように、精いっぱい、
あっぷあっぷです。ありがとうございやす!!!これっしか言えないっす。
「アサギ色」は、時として淡い空色と言われるときもあります。水色と呼ばれるとき
もあります。「アサギ色」は必ず流れの中にあります。そう。すべて必要で必然の
「流れ」です。みんな・・・ありがとう。ゆらゆらいきます。 押忍 木津龍馬
追伸 永倉、新潟の土産さんくす。西川、マザーテレサのペンダントありがとうな。
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